●『君主論』研究_第一七章





『冷酷と慈悲について。また恐れられるよりも慕われるほうがよいか。それとも逆か』
〔第一七章では第一五章で挙げた性質のうち「冷酷と慈悲」について言及している〕

結論:慕われるよりも恐れられたほうが良い

ボルジアは冷酷さによって治安の悪いロマーニャに安定をもたらした。一方、フィレンツェ人民は、過度の慈悲ゆえに殺戮と略奪の温床となる無秩序を放置した。
『無秩序は往々にして住民全体を損なうが、君主によって実施される処断は一部の個人を害するのが常であるから』

新しい君主は、新しい政体に危険が付き物なため、冷酷の名を免れることは不可能であるが、『信じることや行動においては慎重であり、かつおのれの影に怯えてはならない。そして熟慮と人間味とで抑制しつつ、過度の信頼によって無用心を招くことなく、また過度の不信によって耐えがたい者とならないように行動すべきである』

『慕われるよりも恐れられていたほうがはるかに安全である』
物質的な報酬で築かれた温情は、売買こそできるが、いざという時には当てにならない。
人間は恐ろしい相手よりも慕わしい相手のほうが危害を加えやすい。
恩愛は、邪な存在である人間は、自分の利害に反すればいつでもこれを断ち切るが、恐怖のほうは処罰の恐ろしさによって繋ぎ止めるから。

『だがしかし、君主は、慕われないまでも、憎まれることを避けながら、恐れられる存在にならなければならない』
自分の臣民や市民の財産、ならびに彼らの婦女子に手を出さないかぎり、憎まれることは避けられる。
必要があって誰かの血を流さなければならないときは、都合の良い正当化と明白な理由を掲げて断行することになるが、他人の財産に手を出してはならない。人間は、殺された父親のことは忘れても、奪われた財産の方はいつまでも忘れないから。

『軍隊を率いて多勢の兵士を統率するときは、冷酷の名前を気にする必要はまったくない』
ハンニバルは冷酷であったため、兵士同士、もしくは兵士のハンニバルに対して不和を生じさせなかった。
一方、スキピオは他の面では十分な力量を持っていたが、過度に慈悲深かった(好きにさせておいた、という意味か)ため、軍隊が略奪を行った。

第一七章のまとめ

結論:慕われるよりも恐れられたほうが良い

ここでマキャベリのいう「冷酷さ」とは、状況を改善するために一部のものを処断する際の決定の意志力を言うと考えられる。一方、「過度の慈悲深さ」とは、放任によって乱れさせること、それらをそのまま放置しておくことを言うと思われる。
それらを比べたときは、冷酷さの方が確かに良い気がする。

慕われる、ということに関して、部下に褒賞を与えることで慕われようとするのは、そういった恩顧の絆は有事の際にまったく役に立たないので無用としている。これは「気前の良さ」に関する言及に通じるものがあり、すなわち、褒賞を与えることで部下を繋ぎとめておくというやり方は、基本的には無意味と考えていると思われる。部下を繋ぎ止めるのは、物質的な恩恵によるのではなく、恐怖によるべきである。

慕われなくてもいいが、憎まれてはいけない。憎まれないためには市民や臣民の財産・婦女子に手を出さなければOK。

軍隊を率いる時は、冷酷という悪評はまったく気にする必要はない。


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